無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ハイロウズはロックを暴く。

angel beetle

angel beetle

 ノエル・ギャラガーが歌ったように、ロックンロールバンドに自らの思いを投影し、自分の人生の重要な分岐点をロックンロールに委ねてしまうなど、はっきり言って愚の骨頂だ。ロックンロールはあくまでもロックンロールであり、ただの音楽に過ぎない。しかし、ロックンロールを聞いて涙したり自分の中で何かが変革したりする瞬間は確かにある。ある、というか、だからこそいつまでもそこにしがみついていたりするのだ。大体においてロック好きを自認する人間はこうした二つの思いの中で揺れ動いたりするものだろう。少なくとも僕はそうだ。その度に、震える手で結局ロックを選び続けてきたのだ。
 ハイロウズの新作。マーシー作の「スカイフィッシュ」という曲にはこんなフレーズがある。「ロックンロール以外はたいしたことじゃない」。これを「さすがハイロウズだ!やっぱロックンロールだよ!最高!」というのは簡単だ。僕もそう思う。こんなことをバシンと歌えるのはハイロウズくらいなものだとも思う。でも、僕はこう言い替えてもいいような気もする。「ロックンロールはたいしたことじゃない」。きっとこれでもハイロウズのロックンロールはロックンロールとしてその輝きを失わずに転がり続けることができると思う。逆説的に、ロックンロールの麻薬のような素晴らしさをこんなに端的な言葉で表すことができるのは本当に素晴らしいことだと思う。そして、「絶望なんてしてて当たり前」と、全てのロックのスタート地点をデビュー15年にして改めて歌えてしまうヒロトマーシーはやはりすごいと思う。僕のロックに対する複雑な思いを余すことなくすくいとれるバンド、ハイロウズ。きっと他の人に対してもそうなのだと思う。だから、やっぱり何回も何回も聞いてしまう。