無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

アホでマヌケなアメリカという国。

 1999年、アメリカ、コロラド州コロンバイン高校で起きた学生二人による銃乱射事件。この事件をきっかけに、監督のマイケル・ムーアがカメラとともに突撃取材を試みるドキュメンタリーの傑作。映画は確かにコロンバイン高校の事件に時間を割いてはいるが、それだけではない。大きくいくつかのテーマに沿ってムーアは取材を試みている。「アメリカではいかに銃や弾薬が手に入りやすいか」「アメリカと同等の銃保有率を誇るカナダでは銃による死者が少ないのはなぜか」「逆に、アメリカではなぜ多いのか」など。
 コロンバインでの事件の悲惨さと、事件の直後に街で大規模な大会を開催するNRA(全米ライフル協会)の無神経さに対する怒りが主要なトーンを占める前半から、後半は徐々にアメリカという国の歪さ、異常さを追求する内容へと移って行く。これは、ムーア自身が取材を続けるうちに実際にそうした考えになっていったということなのだろう。後半でキーになるのは、ムーアの故郷で起きた、6歳の少年がクラスメートの女の子を射殺するという忌まわしい事件の取材だ。コロンバインの犯人が好んで聞いていたという事実だけでスケープゴートとして吊るし上げられたマリリン・マンソンのインタビューが非常に面白かった。ある意味、この映画のテーマそのものを彼は見事に言い当ててしまっている。非常に理知的に、論理的にアメリカという国の陰部をつつく彼の言葉は、ロックファンとしても頼もしい限り。もちろん、映画では結局何も解決はしていない。コロンバインの被害者である二人の青年とともに、犯人が弾薬を購入した大手スーパー、Kマートから弾薬販売をしないという約束を取り付けるのが関の山だ。ラストは、NRAの会長である俳優チャールトン・ヘストンとの直接対決になるわけだが、これも結局ヘストン自身から謝罪の言葉などを引き出すことはできていない。ただ、現在イラクといまにも戦争をしようとするアメリカという国が、なぜこんなにも武力で物事を解決したがるのか、なぜ自分が一番でなくては気がすまないのか、そうしたことの理由が映画を通して透けて見える気がする。アメリカにもこういう映画を作る人間がいるのだ、と思うと少しだけ救われる気がする。
 テーマは確かに重い映画だけれども、見ている間はニヤニヤと笑いが絶えない。全編にムーア自身のユーモア感覚が溢れているし、ムーア自身の風貌も非常に気の良さそうなおっさんにしか見えなくて、見ていて自然と顔がほころんでくるのだ。面白いし、飽きないし、いろんなことを考えさせられる映画。たくさんの人に見てほしい。