無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

タトゥに見るポップスと消費の関係。

200 Km/H in the Wrong Lane

200 Km/H in the Wrong Lane

 ポップスというのはまさに大衆消費財であって、末端のユーザーが日常生活においてその音楽を消費することにこそ価値がある。人々は新しい口紅や、体に優しい洗剤などと同じように新製品(新しい音楽)に飛びつき、そして消費してゆく。その観点からすれば、今現在タトゥほど優秀な商品、優れたポップスは他にはないと言えるだろう。しかし、大量に消費されるものは飽きられるのもまた早い。1年後、2年後、彼女らがシーンに残っているかどうか、はっきり言って微妙なところだろう。彼女らの魅力、おいしいところを最もよく味わえるのは今しかないというわけだ。シニカルに過ぎる見方かもしれないけれども、僕はそう思う。そして、他ならぬ彼女ら自身がそう思っているのじゃないかという気もするのだ。今、一番輝いていられるときを存分に楽しんでやろう―。やがて来る終わりの予感。タトゥの二人が自信に満ち溢れ、毅然とポップシーンに殴り込みをかけている裏で、どこかその存在が儚げに見えるのはそんなところなのかもしれない。
 英語圏出身ではないこともあるのだろうけど、曲のタイトルを連呼することでそのままサビになってしまうような簡単な歌詞、80年代っぽいチープさを基調としながらも、きちんと90年代を通過したデジタルビートを用いる抜け目のなさ、アルバムの後半にとってつけたように置かれるリミックスヴァージョンがことごとくつまらないことも含めて、あまりにも正解過ぎるアイドルポップスの見本。その中で、ロシア〜東欧っぽいデカダンな暗さを感じさせる「30ミニッツ」のような曲がとても印象的(ロシア語ヴァージョンの方が絶対いいのに、収録されていないのは残念)。アレンジや演奏はアレだけど、スミスのカバーというのも、彼女らの暗さ、道から外れたっぽさの演出としては完璧だ。
 とは言っても彼女ら自身にシーンをタフにサヴァイヴする才能があるかどうかはまだ全然未知数なのだから、先のことは分からない。ただ、今、彼女らを素通りすることは絶対に人生を損してると言い切れる。ていうかもう単純に大好き。「オール・ザ・シングス・シー・セッド」は今年上半期のテーマソングに決まり。僕は今全力で彼女らに騙され、彼女らを消費している。それは音楽を聞いていて最高に気持ちがいい瞬間の一つだ。