無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

異形の傑作。

De-Loused in the Comatorium

De-Loused in the Comatorium

 アット・ザ・ドライブイン(ATDI)の解散を今でも残念に思っている人は決して少なくないと思う。何を隠そう僕もその一人だ。解散後、メンバーがそれぞれの活動を始めたと聞いてもあまり追いかける気にはならなかったし、事実あまり音源も聞いてはいなかった。しかし。ATDIのアフロコンビ、オマーとセドリックが中心となっているマーズ・ヴォルタのデビューアルバム。こいつはヤバイ。
 ATDIの音楽の根底にあったのは「怒り」であり、彼らの基本姿勢はパンクなものであった。しかしこのマーズ・ヴォルタのアルバムはそんな単純なシークエンスで語り尽くせるものでは全くなく、もっと複雑で、ダイナミックで、ドラマチックなものだ。本作はオマーとセドリックに多大な影響を与えたというフリオ・ヴェネガスなる人物の人生を描いたというコンセプトアルバムのようだが、歌詞が全くないので歌の内容はわからない。CDのジャケットにある暗号のような文章の断片を見る限り、かなり哲学的で難解な比喩を多用したもののようだ。しかしサウンドは一聴した瞬間、その緊張感と迫力でダイレクトに聞くものの耳を引きつける。ATDIと比較するとメロディーは遥かに叙情的になり、曲の構成は複雑かつ緻密なものになった。変拍子を多用し、軟体動物のように自由自在に曲の姿を変えてゆく。どこからどこまでが1曲なのかよく区別もつかないのでアルバム通して1曲と言ってしまってもいいくらいだ。言うなればこれもまたプログレの亜流と呼べる音楽。現在のシーンを見渡しても、こんな異形のロックをやっているバンドは他にいない。例えるなら、TOOLの『Lateralus』を聞いたときのインパクトに近い。そしてこのサウンドを叩き出すバンドのテクニックも凄まじい。フレージング、音色を変幻自在に操るオマーのギターもすごいが、ドラムも超絶。全編ベースを弾いてるのはレッチリのフリーだ。全くとんでもない。
 前述のように特異なコンセプトの元に製作されたアルバムなので、今後の彼らの曲なりアルバムがどのように変化していくのかはわからない。しかし、これだけダイナミックに、ドラマチックにロックという表現を用いてその可能性を広げようとするバンドが現れたことを素直に喜ぶべきだろう。確かに、あのままの ATDIという器ではこれだけ幅広く奥の深い音楽を受け止めることは出来なかっただろう。そう納得させるだけの素晴らしい作品だと思う。傑作。