無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

悩みが生み出した傑作。

Mouth To Mouse

Mouth To Mouse

 2月に見たシロップのライブは、今までのシロップ、あるいは五十嵐隆という人のイメージを覆す感動的なものだった。簡単に言うと、「他者と繋がりたい、交わりたい」という欲求が前面に現れたものだった。次のシロップのアルバムはそうしたモードを反映したものになるのかな、と思っていた。それは半分正解で半分は外れだった。
 「My song」や「Your eyes closed」のような、ストレートに他者を求め、愛を表現する曲もあれば「うお座」のように愛の欺瞞を白昼の下に晒すような曲もある。あまりにも両極端なものがアルバムの中に混在している。しかしそれはどちらかがウソということではなくて、両方とも五十嵐の中から出てきたリアルな表現であるのでタチが悪い。自分も含めた世の中全てを否定し、そこから見える風景を唯一の希望として描く、その美しき反転。そうしたシロップ王道のテーマは多くのコアなファンを惹きつけて来た(もちろん僕もその一人だ)。五十嵐自身それを自覚しつつも、それだけでは足りないと感じている。客観的に見ても、五十嵐は世の中に広く浸透し得る普遍的で美しいメロディーを作れる才能を持ってしまっている。要するにポップスとして売れるものを残したいという欲求と、それがこれまでのファンを裏切るのではないかという思いが錯綜しているような気がする。結果、このアルバムでは美しい曲はとことん美しく、ネガティブな曲はとことんネガティブに、そして攻撃的になっている(「メリモ」などが典型)。絶望してもし切れず、もはや諦めの境地で乾いた笑顔を引きつらせるかのような濃密なテンションの「夢」も圧倒的だ。前述の「錯綜する思い」を自問自答するかのような(そして、すなわちこのアルバムの裏テーマ曲とも言える)「I・N・M」がアルバム中最も美しく、聞くものの心を惹きつけるであろうことが、このアルバムが傑作であることの証明になっている。アーティストとして悩みながら、不安定な部分を抱えながら作ったものでありながら、シロップ史上最もバランスがよく、その魅力を余す所なく伝えるものになっている。このアルバムの中にある両極端を五十嵐が自覚的に扱うことができるようになると、もっとすさまじい物ができるのか、それともこのバランスが逆に崩れてしまうのか。そんな危うさもある。明らかに五十嵐は現在表現者としてひとつの岐路に立っている。その危ういバランスがもたらした奇跡的な傑作だと思う。