無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

道中の万感とウォーカーズへ、聖歌を。

OZ

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 中村一義名義での前作『100s』は今聞き返してもいいアルバムだと思うのだけど、これ聞いてしまったらあれはもう習作としか思えない。というか実際そういうものだったんだと思う。100s名義での活動になり、バンドという形態の中で中村一義の持つ音楽が全体の 1/6になってしまうのではないかという危惧もあったが、全くの杞憂だった。むしろ逆に、中村一義という人の頭の中にある音楽を鳴らすためにこのバンドがあったのだ、というアルバムになっている。
 世界を描き出すこと。簡単に言えば、このアルバムの重要なファクターのひとつはそれだ。過去の積み重なりの上に現在があることを認識し、未来を見据えた上で進むべきひとつの指針を提示すること。あまりにも壮大なテーマであり、考えるだけで途方もない。もはや哲学みたいなものだ。実際、世が世なら間違いなく2枚組だったろうというくらいのヴォリュームのアルバムになっている。
 中村一義の音楽には、デビューのときから既にそのくらいのスケールがあったように思う。ただ、本作で実現したレベルで音楽を具現化するには彼自身の人間的な成長が不可欠だった(少なくとも『金字塔』のときの彼には無理だった)。事実彼はその後『ERA』という、21世紀をサヴァイヴするための精神のあり方を一人の都市生活者の視点からシビアにかつ美しく力強く鳴らした傑作を発表している(9.11テロ以前にこのアルバムが出ていることは今思うと驚嘆に値する)。しかしやはりそれは一人の人間の主観の限界であり、彼が『OZ』でやろうとしたことはもっと広い視点で、客観的に俯瞰したところから世界を描き出すというものだったのである。そのためには、バンドといういわば「擬似社会」が必要だったとも言えるのかもしれない。(僕がこのアルバムを聞いたときに頭をよぎったひとつのバンドがあって、まあつまり簡単に言うとトム・ヨーク一人では『OKコンピューター』や『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』は創れないんだろうな、ということで)
 1曲1曲を取り出してもいちいち耳を惹く緻密な構成とアレンジが施されているが、全体を通して聞くとダイナミックかつドラマティックな展開に震えが来そうだ。特に、「(For)Anthem」から始まる美しくもどこか翳った、不穏な響きが通奏低音としてある抑制された中盤と、それが一気に開放され希望へと導かれる「光は光」は涙なしでは聞けない。個人的にはここから「K-ing」までが本作の怒涛のクライマックス。今の時代/世界そのものを描き出した上で、ここまで明快にひとつの解答を導き出した表現は少なくとも日本のポップミュージックシーンではほとんどないといっていいんじゃないかと思う。
 ここまでやってしまった以上、ある意味これで100sというバンドの使命は終わったという言い方もできるんじゃないだろうか。次に中村一義が鳴らそうとする音、そして言葉がどういうものなのかは恐らくまだ彼自身にも見えていないだろうけど、それによってはまた違った形態でも活動も当然有り得るのだと思う。