無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

ダンサー・イン・ザ・ダーク

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

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 冒頭、オーケストラによる序曲が流れる漆黒の闇(もちろんこれはセルマの失明の暗示だろう)からラストまで、画面から目をそらすことができなかった。ビョークの音楽をずっと聞いてきた人なら分かってもらえると思うのだけれど、彼女の音楽というのはとにかく生命力に溢れている。無機質な機械のビートに生命を吹き込むような彼女の声。それは希望と言いかえてもいいのだけど、その彼女の歌こそがこの映画の核である。
 ストーリーはとにかく思いつく限り集めてみたというくらいの悲劇がビョーク演じる主人公セルマの運命にのしかかっていくという、メロドラマ。進行性の目の病に冒されていて、遠くない将来失明する運命にあるセルマは、その病気が遺伝性であるため、一人息子のジーンもいずれは失明する運命にあることを知っている。そのため、ジーンにだけは同じ運命を歩ませまいと、昼夜を問わず働き続け、少ない稼ぎの中から少しずつ手術のための資金を貯金していく。そうして貯めたなけなしの金を、大家である警察官のビルに奪われてしまう。取り返そうともみ合っているうちに、ビルの拳銃が暴発し、彼女は殺人犯として捕らえられる…。もう、にっちもさっちも行かない。弱者にかくも過酷な運命を強いる世の理不尽。そうした中、セルマが唯一の楽しみとしているのがアマチュア劇団のミュージカルであり、自ら空想の中で奏でるミュージカル。音楽なのである。
 手持ちカメラの粗い映像によるドキュメンタリータッチのドラマシーンが、セルマの空想の中、ミュージカルのシーンになると途端に色鮮やかになり、緻密なカメラワークで描かれる。死と絶望に一直線に向かう現実と、生と希望に満ちた空想のミュージカル。ビョークの歌が生命力に満ちれば満ちるほど、映画の中の現実がより重く暗くのしかかってくる。逆もまた然りである。この2つの引き裂かれたコントラストがこの映画の深さそのものだと思う。そして衝撃のラストシーンでは、初めてその2つが邂逅する。現実の中、粗い映像のまま、セルマが歌う最後の歌。それはセルマが自らの死と引き換えに息子に託した「希望」ではなかったのか。この映画でセルマを演じるのはビョークでなければならなかった。もう、それしか言葉が出てこない。ビョークはこれ以降二度と映画に出るつもりはないという。当たり前だ。これ以上何ができるというのだ。
 ラストはもちろんなのだけど、途中「I've seen it all」のシーンで僕はボロボロ泣いていた。「私は全てを見てきたから、もうこれ以上何も見るものはない」 セルマの中では、自らの空想すらも現実だったのだと思う。