無事なる男

敗北と死に至る道を淡々と書いています。

2021年・私的ベスト10~映画編~

10位:サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

主人公ルーベンは恋人のルーと共にトレーラーで寝泊まりしながら全米各地を回りバンド活動をしています。ルーベンはある時聴覚に異常を感じ、急激に耳がほとんど聞こえなくなってしまいます。医者に行き、失った聴覚は元に戻らないことと内耳インプラント手術に高額の費用がかかることを告げられます。目の前の状況に荒れるルーベンを見て、ルーは知人に紹介された聴覚障碍者のための自助グループコミュニティへと連れていきます。

まず、聴覚異常を感じるシーンでの音響効果が素晴らしい。これは劇場で体感すべきだと思うし、もし自宅で鑑賞する場合でもヘッドフォンの使用が必須だと思います。この「聴覚障害の疑似体験」が本作の大きな魅力のひとつでしょう。アカデミー音響効果賞受賞も納得です。

ルーベンは耳を手術しバンドやルーとの関係を含め「元に戻る」ことを当初望むわけですが、現実はそう簡単ではありません。「元に戻らないこと」を受け入れることを、彼はコミュニティで教えられます。

コミュニティでルーベンのメンターとなるジョーは聴覚を失うことを「ハンディではない」と言います。しかしこれを受け入れるのは難しいでしょう。自分がその立場だったら、と想像しても辛いと思うほかありません。ハンディではなく個性だと言うのは簡単ですが、障害者の中でもその受け入れ方や対応、考え方は多様です。これも本作の重要なポイントだと思います。

ルーベンの選択は尊重されるべきだし、ジョーが批判することでもない。「君の選択が幸福につながることを祈る」というジョーの台詞はラストまで見終わった後思い返すと更に重く響きます。

後半、大きな決断をし実行に移したルーベンは希望に満ち溢れています。これで「元に戻る」のだと。しかし、現実は再びルーベンを打ちのめします。ここも音響効果が見事で、「こうなるの?」と見るもの(聞くもの)を驚かせるでしょう。ぜひ体験していただきたい。

ルーとの再会を果たした後のパーティーシーンはルーベンの絶望と孤独を象徴しています。見ていていたたまれない。ルーが父親と歌う歌に「愛する人よ、私は二度死んだ」という歌詞がありました。まさに、ルーベンの気持ちを代弁していると思います。

ルーの家を出ていく時の螺旋階段は耳の中にあるうずまき管のメタファーでしょうか。ラストのルーベンの表情もいいです。単に、あのまま施設にいれば良かったという話ではないのです。ラストの解釈は人それぞれでしょうが、僕は清々しさを感じました。

聞こえるということは何か。
見えるということは何か。
コミュニケーションとは何か。
そういうことを自分のような健常者にも考えさせてくれる傑作でした。リズ・アーメットの演技も素晴らしかったです。

9位:街の上で

ほぼ全編下北沢で撮影されていて、登場人物たちが働いていたり立ち寄ったりするお店も実際に下北沢にある場所を使用しているようです。

主人公・青(若葉竜也)をめぐる日常や女性たちとの関係が物語の主軸になるのですが、決して安易な恋愛ものやハーレムものというわけではありません。むしろ物語としては決定的なことは何も起こらないと言っていいほど淡々と日常が描かれていきます。

その中で各々の登場人物にとって彼らなりに大きな出来事が起こりますが、他のキャラクターも映画そのものもそこには深く介入しない。意図的に平坦な視点で映画が進んでいくのです。

その視点は撮影でも同様で、かなり長回しのワンカット撮影が随所に見られます。そこまで深い関係でもない人物同士の会話におけるちょっと気まずい沈黙とか話し始めのぶつかり合いとか、見ていてむず痒くなる瞬間を見事にとらえています。

特に後半の青とイハ(中田青渚が好演)のワンカットの会話シーンは白眉です。たいていの映画ならこのままそういう関係にもつれ込むのでは、という間を作りながら何も起きない。このワンカットは2人の演技も含めてとても秀逸だと思いました。

その後の展開は主要キャストの集合と物語のカタルシスという意味で少しタランティーノ的な面白さも感じました。随所に入ってくるオフビートなお笑い感覚は共同脚本である漫画家の大橋裕之氏によるところが大きいのかなという気がします。

今泉力哉監督の作品としても上位に来るほど好きな一本になりました。下北沢はあまり行ったことないですが魅力的な場所だと思いましたし、ここに行けば彼らがいるのではと思わせるほどにリアルな感覚が本作の一番の魅力だと思います。

8位:ザ・スーサイド・スクワッド "極"悪党、集結

DCコミックスヴィランが活躍するアクション大作です。監督は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズで知られるジェームズ・ガンデヴィッド・エアー監督によって2016年にも映画化されていますが、一部のキャストは同じ役で出ているものの続編ではなく、新たなリブート作という位置づけのようです。

ジェームズ・ガンは過去のツイートでの差別発言が問題視され、ディズニーから『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー3』の監督を降板させられてしまいました(後に復帰)。その隙に声をかけたのがライバルであるDCだったというわけです。

DCはジェームズ・ガンにどのキャラクターをどう料理しても構わないという無条件裁量を与えたそうですが、それでやりたいと申し出たのが『スーサイド・スクワッド』だったと。はぐれものキャラが宇宙の救世主になるという『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と、犯罪者たちが世界を救うという本作の物語は共通点があるのかもしれません。

今やディズニー傘下となったマーベルはコンプライアンス上の制約も多いと思われますが、ジェームズ・ガンはここぞとばかりに自分の趣味を完全に本作に投影しています。その一つがグロ人体破壊描写です。『プライベート・ライアン』のノルマンディー上陸作戦かというような冒頭のアバンタイトルでは実に楽しそうに撮影している監督の顔が浮かぶようです。元々ジェームズ・ガンはトロマ映画からキャリアをスタートした人です。そのエッセンスを巨大予算の中で実現するという、ある種の映画オタクにとっては夢のような話でしょう。

下ネタ的なギャグも多く、マーベルではできなかった悪趣味性を惜しげもなく発揮しています。登場するヴィランたちはもちろん悪人でアンモラルなキャラばかりですが、「子供に手を出す奴は問答無用で殺す」という正義感が共通しています。ジェームズ・ガンがマーベルを追われるきっかけとなったツイートはペドフィリア小児性愛)に関係するものだったので、その辺の配慮や目配せがあったのかもしれません。

比べても何ですが2016年版よりも各キャラの個性やキャラ同士の関係性も深く描かれています。個人的に好きなのはラットキャッチャー2とポルカドットマンの愛らしさですね。もちろんすでに単独作もある人気キャラとなったハーレイ・クインは別格の存在感で、彼女の大立ち回りシーンは本作でも屈指の見どころだと思います。

前作でも思ったのですが、ヴィランが正義の味方になるという物語の矛盾をどう解決するかという問題があって、2016年版では主役の悪人チーム(特にウィル・スミス)が単なる「いい人」に見えてしまっていました。本作では悪人は悪人として描きつつ、その中で倫理的・人道的(あくまで彼らなりの)に超えてはならない一線というものをきちんと定義しています。だから彼らの行動に納得がいくし、共感できるし、あまつさえ感動すら覚えてしまう。

とんでもなく突き抜けた表現をしつつ、ジェームズ・ガンという人の絶妙なバランス感覚を感じさせる作品でした。またマーベルでも活躍を期待してます。

7位:最後の決闘裁判

1386年のフランス王国のパリにおける最後の決闘裁判の顛末を描いた作品。原作はノンフィクションだそうですが、未読です。ちなみに決闘裁判というのは決定的な証拠や証言が無い場合、被告と原告が決闘をして勝ったら勝訴ということです。野蛮。

ノルマンディーの騎士ジャン・ド・カルージュの妻マルグリットは、従騎士で夫の親友でもあるジャック・ル・グリに強姦されたと訴えます。映画はジャン、マルグリッド、ジャックの3名にとっての「真実」をそれぞれ描いています。同じ事件を違う人物の視点から捉える、いわゆる「羅生門スタイル」の作品です。

リドリー・スコット監督はおそらく意図的に、同じ構図を繰り返し違う「真実」の中で用いています。登場人物の台詞もほぼ同じです。が、微妙な目線や表情、あるいは言葉の間などで「この人物はこの時どう思っていたか」ということを観客に理解させるのです。同じ場面をどう撮り分けるか、演じ分けるか。この映画のキモはまさにそこにあると思います。3回同じ話を見ることになるわけですが、僕は飽きたり退屈することはありませんでした。

視点が変わると同じ会話やセリフも違う捉えられ方をします。性犯罪において、加害者が「向こうから誘ってきた」と言うのを聞くことがあります。もちろん被害者側にはそんな気など一切無いにも関わらずです。7世紀も前の話(しかも史実)を用いていながら、結局この映画は現代社会においても同じ問題が存在していることを示唆しています。被害者である女性の意思に関係なく、男社会の都合やマッチョイズムの中で物事が進み、何となく落着させられるところもまさにだと思います。

こうした映画を御年84歳のリドリー・スコットが撮ったというのもすごいと思います。現代的なテーマを扱いつつ、重厚な中世の物語を正面から描き切った作品だと思います。体当たりの演技を見せたジョディ・カマーにとっても代表作となるでしょう。マット・デイモンベン・アフレックは脚本にもクレジットされていますが、MeToo運動の中で名前が挙がり株を下げてしまった彼らにとっては贖罪のような作品なのかもしれません。

映画そのものの出来とは関係ないですが、歴史上の史実を描いた作品で、時代背景含めて専門的な解説が必要な作品にはきちんとしたパンフレットがあるべきだと思います。本作のパンフが作られなかったというのは見る側からしてとても残念でした。

6位:由宇子の天秤

bitters.co.jp

ドキュメンタリーディレクターの由宇子は3年前に起きた女子高生自殺事件を取材しています。いじめ被害を訴えた女子生徒に対し学校側は「女子生徒と教員と交際している」という理由で退学を勧告していました。その翌日に女子高生が自殺。マスコミの報道合戦のさ中、教員も「交際はない」と訴える遺書を残して自殺した…という事件です。

由宇子は父親が経営する学習塾で講師としても働いていますが、取材を進めていく中、塾に通う女子生徒・萌から衝撃の事実を知らされるのです。

この「衝撃の事実」については、由宇子自身が追いかけている事件を考えても容易に想像がつきます。実際、その通りです。問題は自分が事件を取材している中、類似した事件に自分や家族が関係してしまったことです。

外部から第三者として真実を追いかけていた由宇子ですが、この事件が明るみになれば当事者として追いかけられる立場になる。この反転の中で由宇子がどういう判断をするのか。まさに、様々なことを「天秤」にかけるわけです。

カメラは一貫して由宇子を撮り続けていて、この映画自体が由宇子を取材しているドキュメンタリーであるかのような作りになっています。そして本作には一切BGMが入っていません。音楽によって観客にある種の感情を想起させることを意図的に避けています。拒否していると言ってもいいかもしれません。「見たままで判断してほしい」という監督の意思なのでしょう。

追い詰められながら由宇子は萌との信頼関係を深めていきますが、物語はさらに予期せぬ方向へを進んでいきます。信じていたものが裏切られた時、天秤はどう振れるのか。

この作品においては何が真実かは大きな問題ではなく、「真実と思われること」に対して人間がどう行動するのかにフォーカスが当たっていると思います。ラストの長回しワンカットは白眉です。正直見終わって、楽しい気持ちになる映画ではありません。何度も見返したいかと言われると微妙です。胸に残るものは重く深い。その分、忘れられない作品ではあると思います。

主演の瀧内公美はほぼ出ずっぱりで、素晴らしい演技を見せています。そして萌役の河合優実はやはり今年公開の『サマーフィルムにのって』とは全く違う陰のある女子高生を好演しています。この人は今後見る機会が増えそうな気がします。

監督の春本雄二郎という人は本作で初めて知りましたが、これがまだ長編二作目。作家としての世界観や意思をはっきり持った人だと思います。今後も注目していこうと思います。

5位:ファーザー

アンソニー・ホプキンスがアカデミー主演男優賞を獲得した作品。監督は本作が初監督作となるフローリアン・ゼレール。元々はゼレールが脚本・演出を手掛けた舞台の映画版ということです。

物語は認知症が進行している父親と娘の会話から始まります。心配してヘルパーをつけようとする娘に対して「自分は一人で何でもできるから必要ない」と豪語する父親。そして映画は父親の視点で進行していきます。

前にした会話の話をしてもかみ合わない。何度も同じ話が繰り返され、そのたびに場所が違う。知らない男が現れ、娘の旦那だという。しかし娘は数年前に離婚したはずでは…?断片的なエピソードが次々と描かれ、観客も何が真実なのかわからなくなってきます。認知症の父親の視点ではすべてが曖昧に見えてくるのです。これほど完璧な「信用ならない語り手」はいないでしょう。

娘の旦那という男は、出てくるたびに顔が違います(違う役者が演じている)。時には娘だと言って出てきた女性が違う人物だったりします。彼らは誰なのか?何が真実なのか?というある種サスペンス的な作りになっています。

その中で重要なのは部屋の調度品や壁の色、かかっている絵、窓から見える風景など視覚的な情報が一つの登場人物のように演出されていることです。元々舞台だったこともあって少人数キャストのアンサンブル、会話劇がメインなのですが、映画化するにあたってセット自体も重要なパーツになっています。これが実に映画的で素晴らしいと思います。細かい仕掛けが随所に行き届いていて、何度も繰り返し見たくなります。完成度で言えばほぼ完ぺきといっていい映画だと思います。

アンソニー・ホプキンスの演技はもちろんのこと、娘役のオリヴィア・コールマンも好演。前に書いたようにサスペンス的な演出になっているのですが、「人が壊れて行く過程」を本人の視点から描いてているのは実に怖いというかゾッとするものでした。

自分の親は(まだ)認知症ではないですが年老いた親を持つものとして、また自分自身もいずれ老いていく身として、見ておいてよかったと思う映画でした。

4位:アメリカン・ユートピア

アメリカン・ユートピア

アメリカン・ユートピア

  • デイヴィッド・バーン
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トーキング・ヘッズデヴィッド・バーンがブロードウェイで行ったショウをスパイク・リーが監督したライブ映画です。

何もない平坦なステージ上にデヴィッド・バーンが立ち、脳の模型を見ながら講釈を垂れる。人の脳神経は年とともに数が少なくなっていき、その繋がりも減っていく。この脳の部分は言語を司る、ここは何々を司る部分…と、1曲目"Here"に入っていきます。

徐々にバンドのメンバーやシンガー、ダンサーが増えていき本格的な演奏と賞が始まります。メンバーは全員揃いのグレーのスーツを着て、ドラムやキーボードも楽器を担いで自由に動き回ります。ステージ上にはコードも何もなく、楽器の音は全てBluetoothなどで飛ばしているそう。

照明や演出も見事。曲間のデヴィッド・バーンのMCもウィットに富んでいて楽しい。自分はソロの曲をほとんど知らなかったのですが全く問題なく楽しめました。

ステージ上のメンバーは性別も国籍もバラバラで、恐らくセクシャリティについてもそうだと思います。ミュージシャン、ダンサーとしてのスキルはもちろん、多様性を意識して選出されたのだと思います。ステージ上の彼らは世界の縮図のようでした。"Everybody's coming to my house"という曲の前でメンバー構成を引き合いに出し、自分も外国からアメリカに移住した人間だとバーンは語ります。移民なくしてアメリカという国は成り立たないのだと。

このショウが行われたのは2019年で、大統領選挙の前年です。トランプ時代を意識して構成された内容にもなっていて「みんな選挙に行こう」と呼び掛けたりもしています。そして最も心を震わされるのは後半のクライマックス、ジャネール・モネイ"Hell You Talmbout"のカバーです。2020年世界に広がったBlack Lives Matterを予見させる内容で、スパイク・リーデヴィッド・バーンの意志がまさにシンクロした瞬間です。

タイトルについて、自分は現代のアメリカを揶揄する意味で逆説的に捉えたものなのかと思っていましたが、そうではなかったようです。デヴィッド・バーンは本気で人々の連帯を信じ、この国を真のユートピアと呼べる場所にしようと訴えています。そこに冒頭の脳組織の話がつながってくるのが感動的です。

現代のアメリカ、そして世界を真正面から(斜めからではない、というのがミソ)描きながら、単純に見ていてワクワクし興奮し楽しいエンターテインメントとして昇華させています。ステージ上のパフォーマンスは本当に素晴らしく、バンドメンバーのスーツにできた汗の染みに感動すら覚えます。当時67歳のデヴィッド・バーンもよく動くし、声も出ている。個人的にはトーキング・ヘッズ84年の名作ライブ映画『ストップ・メイキング・センス』を超えたと言っていいと思います。

これだけすごいショウをやってのけた後、自転車に乗って軽やかにNYの街を駆け抜けるデヴィッド・バーンは最高にカッコいい。こんなおじいちゃんになりたいものです。

3位:プロミシング・ヤング・ウーマン

色んな意味でドスンとくる映画で、見た後も色々と語り合いたくなる作品でした。監督・脚本・製作を務めたのは女優でもあるエメラルド・フェネル。本作でアカデミー脚本賞を受賞しました。主演はキャリー・マリガン。間違いなく彼女の代表作となるでしょう。

主人公のキャシーは将来有望な医学生でしたが、親友のジーナが同級生にレイプされるという事件が発生します。ジーナとキャシーは大学に訴えるも取り合ってもらえず、ジーナは自殺してしまうのです。

キャシーは大学を辞め、自責の念にかられながら実家暮らしでカフェのバイトをする毎日。しかしキャシーは夜な夜な酔っぱらったふりをして、近づく男たちに制裁を加えるという行為を繰り返していました。そんな中、医学部の同級生だったライアンと再会することで彼女の運命は大きく動き出します。

本作は当然、Metoo運動など女性の性被害や性差別に対する運動と共鳴して作られたものではあります。と同時に、女性の味方であると自認している人たち(特に男性)にも厳しい自己認識を迫る作品でもあると思います。「自分に何の非もなく女性側の立場ですと言える人間などこの世にいるのか?」という命題を突き付けてきます。かくいう自分も、この作品を前に激しく自省するほかありませんでした。

レイプによって命を落とすことになった親友への想いと後悔がキャシーを突き動かしていますが、キャシーが復讐しようとしたのはジーナの命を奪った彼らだけではないのだと思います。言ってしまえばこの社会そのものへの復讐と怨念ではないでしょうか。

「プロミシング・ヤング」というのは「将来有望な若者」という意味で、性犯罪の被害者となった女性に対し「犯人は『プロミシング・ヤング・マン』なのだ。この一つの過ちだけで彼の将来を奪っていいのか?」と起訴を思いとどまらせるの時に使われる言葉だそうです。ひどい話です。当然本作はレイプによって未来を奪われた「プロミシング・ヤング・ウーマン」の話です。

実際にそうした行為を行ったり加担したものだけが罪に問われるのではありません。知っていながら傍観している人間も同罪であるということを本作は見るものに問いかけてきます。心が痛いです。ラストの展開とキャシーの行動は、『グラン・トリノ』のイーストウッドを想起させました。復讐であり、やはり「同罪」であったキャシーの贖罪でもあったのかもしれません。このシーンで流れるブリトニー・スピアーズ"Toxic"のストリングスアレンジの劇伴が印象的です。(今年はブリトニーにもいろいろありましたから。)

とまあ、色々と考えさせられる映画なんですが大事なのは本作がシンプルに娯楽作としても楽しめる内容だということです。途中のロマンティック・コメディ的な展開もいいです。そこが両立してるからこその傑作。世の男性全てが見ておくべき作品だと思います。

2位:JUNK HEAD

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堀貴秀監督が4年間かけてたった一人で作り上げた30分間の短編アニメーション『JUNK HEAD1』。自主上映でスポンサーを募り、長編の製作をスタートしてからさらに数年。約10年の歳月をかけて作られたストップモーション・アニメーションの傑作がこの『JUNK HEAD』です。

いわゆるストップモーション・アニメというと『ピングー』や『チェブラーシカ』のようにぬいぐるみのかわいいキャラクターが登場するほのぼのとした作品を思い浮かべる人が多いかもしれません。今年話題になったTV番組『PUI PUIモルカー』もその系統の作品でした。

しかしこの『JUNK HEAD』は非常に複雑な設定のハードSFです。こちらも堀監督がほぼ手作りという力作のパンフレットを見ると、長大な物語のほんの一部しか今作では映像化されていないことがわかります。細かい設定やサイドストーリーも緻密に考えられていて、こんな話をよくわざわざストップモーション・アニメでやろうとしたものだと驚嘆します。

映像は何とも言えずかわいい部分もありつつ、グロく残酷な描写も多いです。舞台となるのはディストピアな世界観ですが、ギャグもあるし切ない描写もあるし、少年マンガ的なバトルもある。

ひとりのクリエイターが頭の中にある世界を作り上げた執念の一作ですし、正直そこには狂気じみたものすら感じます。でもその狂気性こそがこの作品に唯一無二の魅力をもたらしているとも思います。とりあえず、エンドクレジットにおける「堀貴秀」の名前の多さに驚きつつ爆笑してください。続編にも期待です。

1位:イン・ザ・ハイツ

リン=マニュエル・ミランダが『ハミルトン』の前に作っていた大ヒットミュージカルの映画化。ハイツというのはニューヨークのマンハッタンにあるワシントン・ハイツ地区のこと。ここは移民としてアメリカに来た人たちや移民2世が多く住んでいる地域です。

映画の主役であり語り部はウスナビという青年。祖国に帰り自分の店を持つという夢を叶えようと、コンビニで働いています。彼とともにバネッサ、ニーナ、そしてベニーという4人の若者が物語の主軸です。

移民であるがゆえに貧しく苦しい生活を強いられ、なかなかそこから抜け出すことができない。チャンスは少なく、そのチャンスさえも簡単に手のひらから滑り落ちてしまいます。厳しい移民の現実を描きつつも、彼らの生活や表情、人々のやり取りはとても生き生きしています。

映画を彩るミュージカル・ナンバーが素晴らしく、移民の故郷である様々な国の音楽を取り入れています。ラテン系でもサルサやサンバ、カリプソなど陽気なリズムを聞いているだけでワクワクしてきます。改めてリン=マニュエル・ミランダという人の天才ぶりに驚かされます。

暑い夏、停電、96000ドルの宝くじなどなど、いろいろなキーワードを伏線にしつつ物語が進んでいくのですが、僕が最も心を動かされたのはハイツの母親役とでもいうべき老女アブエラのソロ曲。悲しく切なくそして美しく、移民の苦しい人生を歌いあげます。ここは泣きました。

そしてクライマックスでの大演舞は見ごたえ十分。ダニーとニーナのデュエットでの映像は仕掛けも楽しく、まさに映画化した意味がここにあるという感じです。移民の現実を描き出すのと同時に、きちんと人間賛歌として完成されていて、だからこそ日本に住む自分も部外者ではなく物語の中に没入できるのだと思いました。

そんな映画の監督がアジア系のジョン・M・チュウというのが面白いです。クロエ・ジャオ監督の『ノマドランド』を見た時も思いましたが、移民という意味でアジア系とヒスパニック系はアメリカという国の中では共通点があるのかもしれません。

何はともあれ僕の中では『ラ・ラ・ランド』を超えて現代オリジナルミュージカル映画の金字塔となりました。

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今年もコロナ禍で作品の公開が遅れたり配信オンリーになったりしましたが、映画館は営業してくれていたのでそれなりに劇場で楽しむことができました。見逃している作品も多々あるので年末年始に少しずつ消化したいと思います。

2022年もいい映画にたくさん出会えますよう。ありがとうございました。